人生観

5つの失敗 -リストラは僕に「勤め人卒業」のキッカケを与えてくれた

こんにちは。ゴン(@gon_ryusuke)です。

変化に追いつけなかった会社は、いずれ倒産もしくは縮小されていくでしょう。そこでは従業員のリストラも行われ、少なくない人が職を失う。その数はおそらくリーマンショックの比ではないはず。もしかすると明日あなたがリストラに遭うかもしれない。

僕も2009年にリストラに遭いました。正確に言うとクビになったというよりは辞めざるをえなかったのですが、今となってはリーマンショックに自分らしい人生を歩めるきっかけをもらったと思っています。

リーマンショック当時24歳だった僕は、そこから6年かけて、会社に頼らずに生きる人生を実現しました。

ただ順風満帆だったわけではありません。たくさんの失敗をしました。

今回はどれだけ僕が失敗してきたかについてのお話。

夢半ばでリストラに遭った

リーマンショック当時、僕は自動車の設計に携わるという夢を追いかけていた。

大学中退で高卒の僕は、フリーターを経験したし、職も転々としていた。

24歳の時、ちゃんと働こうと決め、出身地の兵庫県を離れ愛知県の会社に転職をした。自動車好きだったので設計の仕事に携わりたいと思い、中途入社だけど初心者としてエンジニアを目指していた。なぜ愛知県かというと、もちろんトヨタの膝下だからだ。自動車関係の仕事はいくらでもある。

本音を言うと自動車レースに携わりたかったんだけど、年齢も24だったし当時付き合ってた彼女と結婚したかったので、諦めて大人しくすることにした。世間で言う「ちゃんとした社会人」になろうとしたんだと思う。高卒の僕にとって24歳という年齢は社会人5年目で、日本社会の中で自分の未来を諦めるのに十分な年齢だった。

トヨタに直接入社するのはさすがに高卒で経験もない人間には無理。ですから技術系の派遣会社からトヨタへの出向。晴れて技術者としての道を歩み始めた。当時は世界的に景気がよかったのだと思う。自動車の整備をしたことあって、多少自動車の知識があるだけ。そんな僕でも設計に繋がるような仕事があったのだ。

転職は2008年4月。そう、余命は4ヶ月半だ。リーマンショックは同年の8月15日に起こる。当時は自動車の販売台数が急激に落ちて、世界のどのメーカーも減産しており、トヨタも例外ではなかった。むしろ筆頭だったように思う。

一般人への影響が出てくるのは少し先のこと。3ヶ月契約だったのでおそらく10月いっぱいだったか11月いっぱいだったかで、派遣契約が終わったと思う。

幸い派遣元の正社員だったので、そのまま雇い続けてもらうことができた。3ヶ月ぐらいは本社勤務。といっても特にやることはない。学習用のPCを与えられ、3DCADの学習をしつつ、社内教育用の資料を作っていた。あの資料って教育に使われたんだろうか?

3ヶ月経った頃に出向を命じられる。パチンコの開発会社のテスト要員だ。開発中のパチンコの液晶をみてバグを見つけるだけの簡単なお仕事。

「俺なんのために愛知県にきたんだっけ?でも結婚もしたから、安易に仕事辞められないしな。そもそも今辞めても仕事ないかもな。なんなんだよリーマンショックって。まじやべえよ。」って感じに思ってた。でも生活に必要だから働いた。与えられた仕事をこなした。そんなに評価も悪くなかったと思う。

でも、このままの人生はいやだな。

そう思った僕は転職を決意する。「ちゃんとした社会人」になるのはやめよう。自分らしく生きよう。

実はポルシェに乗りたかった

社会に出ると理不尽を呑み込みながら、みんな我慢してるんだと洗脳をされる。

楽しかった生活や夢見てた生活を諦めて、「社会はそんなに甘くない」と理解させられ、安月給の自分を受け入れる。そうやって「ちゃんとした社会人」は作られていく。僕も24歳で結婚をして、それまでは高月給のブラック企業志望だったけど、諦めて正社員として骨を埋める覚悟で入社した。

本当はポルシェに乗りたかったし、キャバクラで豪遊みたいなこともしてみたかった。

でもまぁなんだろう。それは自分がいる世界とは違う場所で起きていることだと理解できるようになる。大人になるってこういうことなんだろうな。

ポルシェを諦めかけたその時、幸運にもリーマンショックというハンマーで頭を殴られて目が覚めた。別に「ちゃんとした社会人」なんてなりたくはないし、「俺はポルシェに乗りたいんだ」って気がついた。

よし、決めた。ポルシェに乗ろう。金持ちになろう。

5つの失敗

金持ちになるのを決意したら、即行動にうつした。

世間知らずだったけど、必死で調べた。お金持ちになる方法を。そしてめちゃくちゃ短絡的な結論に達する。経営者になるんだと。まぁ間違っちゃいない。むしろ正しすぎる結論だ。

会社員として年収を高くするには、

  • スキルか資格の希少性を上げる
  • 年収の高い業界の会社に入社する
  • フルコミッションで稼ぐ

であると当時分析していたんですが、時間かかりすぎるので却下。そしてスキルや資格も面倒なので辞めました。

そして選んだのはフルコミッションでかつ、経営者として独立できる可能性を秘めたルートでした。

失敗1 保険会社をクビになる

転職先は損害保険会社である、AIU保険会社に入社しました。IS制度と言って、形は契約社員で職種は保険の営業。

5年間営業として働きながら顧客を作り、一定の売上をあげれば晴れて経営者として独立できるという制度。そして半年ごとに基準の売上があり、その基準に達していなければ即クビ(契約更改しない)というもの。

過去に営業である程度の成績を収めたこともあったので、自信満々で入社した。5年後に会社を持つんだって奮い立ってた。

ところがどっこい。

でも実は8ヶ月でクビになるんだよね。最初は2ヶ月で1件の契約がノルマ。そこはクリアした。しかしそこから半年間まるで売上を作れずにクビになった。たぶん努力量が足りなかったし、改善もせずに毎日動き続けただけだったからだろうな。

これが失敗の1つ目。2010年12月のお話。

失敗2 スーパーブラック企業に入社する

契約を会社都合で更新されなかったので、失業保険はすぐにもらえた。失業保険をもらいながら、次は何をしようか。やっぱりポルシェ諦めきれないな、ということでまたフルコミッションの会社へ。

SEOソフトをリースで販売するという、今考えると、なんとまぁ胡散臭い会社だ。SEOの仕組みを多少理解している今では、商品の内容をいまいち理解できないw

そこは7日ぐらいで辞めた。

電話営業には台本が用意されているのですが、

その会社では台本を朝一から大声で叫ぶという仕事があります。始発で出社して、朝7時から叫ぶのである。声が小さいと怒られる。そして8時には電話開始。休憩は1時間ごとに5分と、12時から45分。18時からの45分。夜23時まで全国のタウンページなどを適当に開き、ひたすら電話をかけていくのだ。

ははーん。わかった。こいつがブラック企業というやつか。

でもポルシェを買うためならブラック企業でさえも厭わない。だって学歴も経験もない俺にはこれしかないと理解していたから。意味不明な声出しも受け入れた。

でも7日間でやめた。当時はこんなブラック企業辞めてやると、この会社にいても未来はないと自分を納得させてやめた。

今思い返すと、実は心が折れたんだ。保険会社のころもそうだったけど、明らかに僕は当時、営業ができていなかった。同期がどんどんとアポを取って外出していく中、僕は毎日電話をかけ続けていた。

学校じゃ成績よかったし、たぶん頭の回転は遅くない。でも行動量とか、対人関係について他人と比べて自分が劣っていることをひたすら恨んだ。この頃から承認欲求オバケだったんだろう。

「なんで俺は営業できないんだろう」

「もっとできたはずなのにな」

「このままだと生活できないや」

「ヤバイよ。本当にヤバイよ」

「ああ、本当に才能ないな」

保険会社に入ってからのブラック企業にかけての約1年の頭の中は常にこんな感じだった。たぶん顔も青ざめていて、電話の声も暗かったんだろうな。そりゃあアポ取れるわけないやん。精神科に行ってたら鬱だと診断されたのかもしれない。毎日ため息をつきながら、会社に行ってた。

「俺ってなにものでもなかったんだ・・・」

僕の心は完全に折れた。

失敗 3 facebookで起業するが利益をあげられなかった

心が折れた僕は、再度失業保険を申請して食いつなげたので助かった。

もうフルコミの営業も、ブラック企業も俺には無理だ。初対面の人と話すのが怖い。人から拒絶されるのが恐ろしかった。

このころにお金がなくて、リボ払いとキャッシングに手を染めたことを覚えている。当時はリボ払いの恐ろしさも知らなかったし、金利の計算もできなかった。いわゆる財務劣等生というやつだ。目の前の支払い金額を抑えることしか頭になかった。

20代で5回目。しかもこの12ヶ月間で3回も会社を辞めた。正直言って最悪の履歴書だ。

俺、これからどうするんだろうなぁ。と思いながら、頭の中で毎日考えた。自己啓発本を買って、目標を紙に書き出して壁に貼ったりもした。当時「金持ち父さん貧乏父さん」も読んだけど全く理解できてなかったな。今ではバイブルになっているけど。

失業保険をできるだけ長期でもらうために、アルバイトを始める。1番時給が高くて、休みが多めのやつ。。。。あった。家電量販店でのフレッツ光の販促だ。時給1200円ぐらいだったかなー。

当時26歳ぐらいで、時給1200円がまぁまぁ高いと思ってたので、結構痛いやつだ。

短期アルバイトの募集だったのですぐにやめるつもりだったのだが、時給を上げるから残ってくれと言われて嬉しかった。自分にあっていたのか、時給もすぐに2000円に上がった。本当に嬉しかったし、もちろん残った。契約社員としてだけどね。

独立したから気がつくんだけど、この会社が定時に帰れる「ゆるふわホワイト企業」だったため、僕は独立までたどり着いたのだと思う。

フレッツ光と言えば、当時のNTTの最優先事業だ。フレッツ光に入ったらキャッシュバック50000円もらえた時代を覚えている人も多いと思う。NTTから予算がドバドバ垂れ流しだった。保険の飛び込み営業と比べたら、向こうからお客さんがやってきて50000円渡して申し込んでくれる商品は、売るのめちゃくちゃ簡単だったんです。無駄になったと思っていた経験が、ここで役に立つ。

会社からも認められるし、ここで僕は自信を少しずつ取り戻せた。

・facebookで起業する

ポルシェへの想いがまたこみ上げてきた。その熱はまだ冷めてなかった。

自信を取り戻した僕は副業でfacebookで起業することにした。結果として1円も稼げなくて、ただ小額の赤字を垂れ流しただけだったけど。

2012年ごろだったと思う。今でもSNSで活躍している樺沢紫苑さんの「twitterの仕事術」みたいなタイトルの本を読んだ。たぶん樺沢さんが「相互フォローでフォロワーを増やそう」と言った最初の人だったのかもしれない。今では過去のテクニックだけど、当時はセンセーショナルだった。

twitterでビジネスをしようと思ったけど、よく調べてみると樺沢さんの新刊が出る。「facebookの仕事術」みたいなタイトルだったと思う。間違ってたらすいません。まだInstagramもインフルエンサーって言葉さえ一般的ではない頃だ。

facebookではコミュニティを作れるんだって書いてあった。なんだかお金になりそうだと思った僕はfacebookのアカウントを作る。まだ日本語対応してなくてユーザーも少なかった。いまではfacebookページと呼ばれてる商業用アカウントも取得。当時はファンページって名前だったよね。(知ってる人いるかな?)

そこでポルシェのコミュニティを始める。狙いはコミュニティ内での、車両の売買で5%の手数料をとる予定だった。例えば500万円だったら、25万円の利益である。仲介手数料ということで、在庫も持たず、小資本で始められる。当時の僕に取っては画期的なビジネスを考えたと思った。実際にこのビジネスをweb上で行っている個人がいて、facebookのプラットフォームで同じことを行うことにした。

今振り返ると、かなりビジネスの感を得ていると思う。

必死でコミュニティを大きくした。facebookの広告を使ったのも個人としては珍しかったんじゃないかな?ロゴを作り、広告文も必死で考えた。web広告の運用を独学でPDCA回してた。

オフ会も何度かやった。当時まだ東京の人しかfacebookやってなかったので大阪在住の僕は何度も東京に出張した。その交通費が結構痛いんだよね。ホテル代合わせると毎回4万円ぐらいは飛んでいく。だからイベント参加費をとることにした。

そこで老害たちの逆鱗に触れる。

「コミュニティの運営は無料でやるもんだ!」と大炎上。たくさんの人から批判とお叱りを受けました。そっかお金とっちゃダメなんだと僕は納得してしまった。

今の僕だったら批判は「ウルセェ!」って押し切るんだけど、そこでお金をとるのが怖くなって、徐々に活動しなくなっていった。

マジで続けてたらよかったな。結構、最先端なことをしてたよ。今はオンラインサロンって普通だよなー。やっと時代が俺に追いついてきたな。

当時は自信がなかったから、お金をとるのが怖くなってしまった。今でもまだその頃の恐怖が残ってるかもしれない。まだ炎上って言葉は当時なかったともうけど、まぁ大炎上した。老害が悪いんじゃない。そこで自信もって続けられなかった俺が悪い。

この話はまた今度しよう。

今もまだ、そのコミュニティは消してはいないので、そろそろYouTubeチャンネル作って活動してみようかと思ってる。

結局、2013年に活動はやめてしまって、広告費や交通費など様々な経費を赤字として計上し、失敗に終わりました。

失敗4 10年ローンでポルシェを買った

↑ホントだよ

コミュニティの主にはたくさんの情報が入ってくるんですよ。僕は当時めちゃくちゃポルシェに詳しかった。

あとお誘いも。ポルシェは中古で10年ローン組めば買えるよねってことで、買っちゃった。

キャッシングしててリボ払い中に、ローンでポルシェを買う。しかも契約社員で年収300万円ぐらい。

うん。未来が恐ろしい。400万円ほどの負債を抱える。

ちなみにまた別の記事で書くけど、このポルシェは高速で無保険に突っ込まれて、泣き寝入りすることになる。今回の話とは関係ないけど。

失敗4つ目。

失敗5 ネットワークビジネスでさらに借金を背負う

いよいよお金がなくなってきて、そんなに実感はないのですが、経済状況は終わっている状態。

この実感はないってのが、危ない状況なんだろうなと振り返って思います。だって危機感あるなら、サラ金でお金かりませんからね。はい、遂にサラ金でお金を借り始めました。

銀行からきていたメルマガかなにかで、50万円借りれるらしくポチッと。次の日には振り込まれて、安堵したことを覚えています。

なんという情弱加減。

当時、毎月ローンの返済や、クレジットカードの返済などで毎月追われていたものの、なんとか返済を続けていました。そこにポルシェの維持費が重くのしかかってきます。20万円ぐらい必要だったんですが、念のため(なんのため?)50万円借りておきました。

でも一瞬でなくなるんですよね。50万円って。本当におかしい。

これ読みながら僕のこと馬鹿にしてる人多いと思うけど、割とそういう人多いからね。だって年間に70000人も自己破産している。事業性の借金の人もいるだろうけど、キャッシングの罠に自分からハマっていく人の方が多いと思う。割とそこらじゅうで起こっていることだよ。

話がそれた。ネットワークビジネスの話だ。

それまで僕はなんどもネットワークビジネスを断ってきた。異業種交流会だとかビジネスの活動をしていると、大抵ネットワークビジネス人が存在しているので断り慣れている。

でもお金が本当にない状況は、判断を鈍らせる。今僕の現状を打破するには、ネットワークビジネスしかない。これにかけて一発逆転するしかないと思った。

まぁ人生に一発逆転の起死回生の必殺技なんてないんだけどさ。画竜点睛が必殺技に見えることもあるけど、積み上げてきたもの末の一発でしかないのだ。

ちなみにランプベルジェという弱小ネットワークビジネスだ。そこにかけた僕は、たくさんの友人に声をかけて行った。もちろん断られることの方が多かったな。友人も数人なくしたと思う。

ネットワークビジネスってのはランクがあって、ランクをあげなければ売上の利率が低い。だからランクを維持するために、自費で購入することになる。補填するために、さらにサラ金でお金を借りて突っ込んでいった。最初は絶対にサラ金は使わないと決めていたのだけれど、まわりはみんな借りていたので、徐々に脳内が汚染され借りてもいいんじゃないかと思って満額BET!うん。俺頭おかしいな。

結局稼げず、また赤字で終わった。およそ100万円以上の赤字だったはず。過去の俺を全力で殴りたい。

これがラストミステイク。

アフィリエイトに出会う

こうやって僕は人生のどん底を迎える。

実はまだ1つ目の底で、2つ目の底があるんだけどさ。

2つ目の底は「ネットビジネスで月収200万稼いで3年後に借金1200万円抱えたフリーランスの話」を参照。

で、アフィリエイトに出会うわけです。そのアフィリエイトを頑張ったおかげで、今では会社にも行かずフラフラと遊びながら、自分の好きな時間に好きな場所で仕事をしている。アフィリエイト本当にありがとう。

でも最初からアフィリエイトに出会ってれば失敗しないってわけではなかったと思う。数々の失敗をしてきたからこそアフィリエイトで人生を変えることができた。

実はリストラに遭ったころ、ある友人からアフィリエイトを勧められた。でも「そんな一件で数千円の利益でなにになるんだ」と思って捨て去った経験がある。たくさんの失敗を積み重ねたからこそ、アフィリエイトに本腰を入れることができたのだ。

アフィリエイトとの出会いを説明するには、ある本との出会いを説明したい。

数々の失敗からこれは相当なレベルの収入を得ないと、俺の人生逆転はできない。その頃に読んだ堀江貴文さんの「ゼロ」という本が、僕に衝撃を与えた。

今でも、大切に持ってます。

https://amzn.to/2VWvDia

なにも持っていないゼロの自分にイチを足していくという内容の本。

堀江さんって、なんか裏技みたいなとんでもない能力で、ズバー!ってIT業界を席巻していった感じじゃないですか?でも実は違ってもともとは本当になにも持っていなかったんです。ゼロからひたすら1を足していく。掛け算はそのあと。要するに要領良くこなしていくなんてのは、1を足したあとなんだよね。最初はみんな労働者から初めてコツコツと1を足していくしかないってことを教えてくれた本。

当時の堀江さんは懲役からでてきたばっかりで、本当にゼロからのスタートだったしね。マジで説得力あったよ。

↓耳で聴くタイプのオーディオブックなら無料で聴けます。

僕は宝くじを買って当たったらいいな。みたいな精神だから、たくさん失敗してきました。借金も繰り返していました。人生ってマジで引き返せないし、20代で失敗しすぎたから割と人生は詰んでる。

そんな状況の僕にはめっちゃ刺さった。なにものでもない自分を認めて、ゼロから一歩ずつ歩いていければいいんだって気づくことができた。本当に今でもみんなに勧めたい本だ。

つづけざまにアフィリエイトに出会う。

友人の紹介で阪口さんの本を読んだのだ。阪口さんとはアフィリエイトで生計を立てて、世界中を旅している方。ここで書かれていたのは、うつ病で自殺未遂をした阪口さんが、アフィリエイトで企業や場所にとらわれない働き方を手に入れる物語だ。

この本で読む限り(現実でも)アフィリエイトってめっちゃくちゃ大変で、最初は全然稼げないし、webのことだし、PCのことで僕は全くの専門外だった。家電量販店で働いていたから知ってたんでしょって言われるかもしれないけど、売ることはできても使うことはできません。本当のど素人からスタート。

でもそんな大変でスキルも持っていなかった僕が、なぜアフィリエイトを始めたかっていうと、めちゃくちゃ努力した先には借金を返して会社をやめて自由に暮らせる未来が想像できたから。そして飛び込み営業や電話営業しなくてよかったから。

やりたくないことから逃げてきた人生だったけど、それが功を奏した。

逃げていなかったら今頃、立派な自動車設計士になっていたかもしれない。もしくは今でも苦手な飛び込み営業をやっていたかもしれない。でも僕は嫌なことからは逃げた。逃げた結果、失敗として残った。なまじ続けちゃってたら成功して立派な社会人になってしまってた。そしたら自由な生活は手に入らなかったから、途中で諦めて本当によかった。

失敗として終えたからこそ、反省して次に進むことができた。結果として、会社や組織に頼らない人生を実現できた。

もちろん僕みたいにマジで低能な社会のクズに成り下がる必要はない。

でも「我慢して我慢して、一度やると決めたから最後まで頑張る」という精神は、自由になりたいのなら捨てた方がいいのかもしれない。日本ではそれは美談だけど、低スペックだと社畜にしかなれないから、自分らしい生き方もできないし、家族も幸せにできない。

逃げて逃げて最後に手に残ったものに、失敗を糧に積み重ねてきたものをぶつける。これが凡人でも自由を手に入れる1つ方法だと僕は思う。

だから逃げ癖がある人はそこまで自分を責めなくていい。ただ「これだ」と自分が思うものを見つけるまで、諦めずに探し続けて欲しい。

嫌なことからは逃げればいい。そしてそれを失敗だと認めて、またスタートする。失敗だと認められるなら、少しずつ成功に近づいていくはずだから。

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